まやたろの体当たり日記

東京銀座のOL→山梨で農業と狩猟をはじめる→2016北米&南米自転車縦断→2017夏全国キャラバン!

インドへ#3 アルナーチャラに導かれて

 

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アルナーチャラ

南インドに行ったことのある何人かの知人からその聖なる山の名を聞いた。そこで一生を終えた聖人がいたこと、その山の周りを歩くとエゴが消えると言われていること、など断片的な情報だけ覚えていた。はじめは正直あまり興味がなかったのだけど、「とにかく行けばわかる」と口々に言われ、いつしか気になる存在になっていた。

Workaway という旅人とホストのマッチングサービスがあり、旅人は働く代わりに食事と宿泊がただになる。旅の前からたびたびこのサイトをのぞいていたら、ちょうどこのアルナーチャラのすぐ近くにあるエコアシュラムでワーカーを募集をしていた。しかし連絡をすると残念ながらすでにワーカーは足りているという。縁がなかったかとあきらめかけたけど、どうにも気になって、ゲストとしてお金を払うから泊まらせてもらえないか?と聞いたところ、それならと了承してもらえた。そこまでしてわたしを強く惹きつけるものは一体なんなのだろう。

 

チェンナイからバスに揺られること4時間半、アルナーチャラの麓、ティルヴァンナラマイのバス停に着いた。そこからリキシャーに乗って15分ほど走る。200ルピーのところを400ルピーと言われ、350までしか値切れなかった。人で溢れかえった街中を抜けると徐々に人気は少なくなり、大通りから一本入ればそこはガタガタの未舗装路で、上下左右に揺られながらリキシャーはずんずんと田舎道を進んでいく。

門の前で出迎えてくれたオーナーのリンダに導かれて、敷地の中へ。目に飛び込んでくるのはヤシの葉で覆われた建物たち。


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これはココナッツの葉とレモングラスで拭いているのよ、とリンダ。建物の中から見上げると、竹と木の骨組の間からきれいに編まれたココナッツの葉が見える。

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建物本体は土でできていて、虫除けのために最後に牛糞とニームオイルで仕上げる。この辺りで昔から行われてきた方法らしい。


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リンダが犬の散歩に行くというのでついていく。この辺りは雨季になると湖になるというのが信じられないほど、今はカラカラに乾いている。

学校帰りの子どもたちが興味津々にからんでくる。羊が放牧され、アルナーチャラを背景にサトウキビ、菊の花、落花生、米などの田畑が広がる。チェンナイの喧騒とは打って変わってのどかな景色。


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わたしがアルナーチャラの周りを歩く巡礼(Girivalam)に興味があると言うと、「それなら明日一緒に歩きましょう」とリンダ。ちょうど今の時期はGuruと呼ばれるお師匠さんたちがたくさんきて、いろんなところでお話(Satsang)をしているらしく、「ちょうどいい時期に来たわね」と言われる。リンダのお師匠さんもなんと8年ぶりに来ているらしい。

夕飯はアリスというスウェーデン人の女の子が作ってくれた。彼女もWorkawayでここを見つけ、3週間滞在している。


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翌朝はリンダのバイクにのせてもらって町中まで送ってもらう途中に、リンダのGuru(お師匠さん)とすれ違う。Moojiさんというジャマイカ人のお師匠さんは、その界隈ではかなり有名な方らしい(とあとから知った)のだが、わたしは失礼ながら全く存じ上げず、リンダがハグするのに紛れてハグしてもらった。

アルナーチャラの聖人、ラマナマハラシの名を冠したラマナアシュラムでは違うGuruの方がお話をしていたので聞きに行く。なまりの強い英語は半分も聞き取れなかったけれど。

夕方からリンダと歩く予定だったけど、彼女は疲れ切っているようで時間も遅くなってしまったのでまたにすることにした。

 

そしてその次の日、朝からMoojiのSatsangがあるというのでアリスと一緒に聞きに行く。会場の前には既に長蛇の列ができていて、中に座りきれない人が外に椅子を並べて聞くほど。ここにきてようやく、Moojiがどれほどすごい人か実感し、何も知らずにハグしてもらった自分が可笑しかった。「スピリチュアル界のブラッド・ピットとハグしてもらったようなものよね」と笑うアリス。


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どうにかすき間に入り込んで席を確保。そしてはじまったMoojiのお話は、手を挙げて質問した人に対してMoojiが答える対話形式。わたし以外の人は彼に会うために遠路遥々やってきた人がほとんどで、中には号泣し出す人や歌い出す人もいて、Moojiの問いにYes!、No!と声を揃えて答える感じに若干ひいてしまった。

それでもやはり彼のお話は興味深く、「過去も未来も手放すこと。そしてその今の感情すらも手放すこと」と説いていた。

アリスと会場を後にし、近くのカフェでお昼を食べることにした。互いにSatsangを聞いてどう感じたかをシェアした。

「やっぱりそうだな、って確信できた。それだけでも来たかいがあったわ」とアリス。

わたしも8割方彼女の意見に賛同した。でもどうしても腑に落ちないところがあって、彼女に訊いた。

「過去や未来に執着しないっていうのはわかるんだけど、今の感情すら手放すって言うのがわたしにはどうしても理解できない。例えばこうして今この瞬間に食べているごはんをおいしいと感じることもしないってと?それって本当にたのしいのかな?」

すると彼女はニッコリと微笑んでこう言った。

「それは想像で言っているだけでしょう」

たしかにやったことがない(というかできない)から想像で言っているに過ぎないのは明白だった。

「マヤは食べ物に対して何を期待しているの?」

そう問われて、なぜか涙が溢れてきた。自分でも何故泣いているのかわからなかった。「わからない」で片付けてしまうのは簡単だけど、「これはとても大事よ、じっくり考えて」とアリスに促され、時間をかけて自分の気持ちに向き合い、それを言い表す言葉を探した。

 

わたしにとって食べることは生きること。おいしいものを食べたり、それを誰かと分かち合ったり、作り方を知ったり、原料から育てたり、そうしたプロセスを知って経験することがわたしの歓びであり、生きる意味そのもの。だからそこに感情がなくなったら、なんのために生きてるのかわからない。

もっと言えば食べ物だけじゃなくて、泣いたり怒ったり笑ったり、そうした感情を持っている自分がわたしは好きで、だからそれを失ってしまうのは怖い。

もしすべての人が過去も未来も今もない状態を目指すことが理想とされるのならば、それができない自分は惨めにしか感じられなかった。だからわたしはわたしでいいのだ、と開き直った。

 

そんなわたしの心を見透かしたようにアリスは言い放つ。

「でもね、彼の言っていたことは宗教とか信じる信じないとかの問題でなくて、普遍の真理なのよ」

そう言われてようやく気付いた。わたしは彼の熱狂的な信者たちを心の中で嫌悪することによって自分を正当化し、心の平穏を保とうとしていたことを。でもそうすればするほど自分が苦しくなっていくのも感じた。

「そう簡単にすぐには変われない。でもそれに気付くことから始まるのよ」

2時間のMoojiのお話よりも、たった20分のアリスとのやり取りに大きく心を動かされた。まるで女神のように微笑みながら、ズバズバと核心をついてくる。一体彼女は何者なのだろう。

 

お皿の上には食べかけのごはんが残っている。お腹はまだ空いていたけれど、なんだか胸がいっぱいでそれ以上食べる気にはなれなかった。

 

今こそGiriをするのに相応しい瞬間に思えた。そう思ったわたしは、灼熱のアスファルトの上を裸足で歩き出したのだった。